2012年09月30日

処女神たちの属性

月の神ディアナには冷たい生娘の性格と、破壊を好む好戦的な激しい女の性格が二つながら認められる。

― 処女神ディアナ、ダフネ、ジャンヌ・ダルク p18

 サドマゾヒズムという概念があります。これは、サディズム(嗜虐嗜好)とマゾヒズム(被虐嗜好)はは表裏一体であるという思考に基づくもので、一人の人間にどちらもが宿っているという考え方です。

 男性は女性を征服することで快楽を得るもの、というのは余りにステロタイプに過ぎるかもしれませんが、それでも大多数の男性は、女性を「自分の好きなようにしたい」と感じているはずです。

 しかし一方で、大企業のトップにはマゾヒストが少なくないという、実体験に基づいた報告もあります。真偽の程はわかりませんが、支配の快感を性的な分野以外で味わいつくした人は、真逆に振れる可能性も十分にある気がします。

 単に冷たくされるだけでなく、自分自身のアイデンティティが根底から否定され壊される。常にリーダーとして人を率いる定めを背負った男性は、足場を壊される快感を求めているのかもしれません。

 ただ、破壊は誰にされてもいい訳ではなく、高慢で可愛らしく知的な美少女にされてこそ本望。美少女を求める気持ちの中に、そういう感情が混じっている男性もいそうです。

posted by 竜胆 at 14:25| 神話における処女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

処女の持つ冷たさ

水の妖精としての美女崇拝では、処女の冷たい面が水によって象徴されている。

― 水妖メルジーネ、ウンディーネ p17

 母というものは温かく、多くのことを許してくれるものです。それは原則的には我が子に対してですが、他の子どもや自分と似た境遇の相手、その心情が理解できる他人にも及びます。

 個人差は少なからずあるにしても、既婚であっても未産婦は物事の許容度がやや低く、未婚者は更にその傾向が強く見受けられます。そして、異性に対して最も厳しく狭量なのが処女でしょう。

 男は遍く母性を求めるものですが、その反動として処女に憧れるケースも確かにあります。これは、愛しい相手に冷たくあしらわれることに快感を覚える、ある種のマゾヒズムといえるでしょうか。

 一度も男のものになったことがないという清らかさにとどまらず、取り付く島もないほどの潔癖さと気位の高さ。それもまた処女崇拝を構成する要素の、重要な一つではないでしょうか。

 そして、水は氷とは違って自在に形を変える従順さも内に秘めています。処女を神話の水妖に重ねる心理には、そんな願望もあるのかもしれません。

posted by 竜胆 at 10:30| 神話における処女 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月20日

共同体からの隔離

破瓜期の少女を小屋に閉じ込めて一定期間、共同体から隔離する習慣は、どの民族の間にも認められた一種の通過儀礼である。

― 塔に閉じこめられた姫君 p16

 ごく平たく言えば「(特に父親からの)親離れ」であり、澁澤氏の言葉によれば「クリトリス段階の克服」のための隔離であるのでしょう。

 「少女コレクション序説」の原文では、この共同体からの隔離を表現した物語の例として、先にあげた「眠れる森の美女」以外にも「ラプンツェル」と、絵画「聖バルバラ」をあげています。

 すべての民族ということは、日本においてもこうした隔離が行われていたのでしょうか。山に棲む鬼に見初められてならないと、処女を人目に触れないように隠す昔話とかが、その行為を表現しているのかも。

 現代日本では、娘を女子校に通わせるのがそれにあたりそうに思います。ただ、共学の女の子の方が異性の目を意識して、より早く大人らしい振る舞いを身につける気はしますが。

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