2011年11月12日

男の性欲は観念的

男が観念的な性欲によって求める女のイメージと、実在の少女を想像力でどこまで近づけ得るかが問題である。

― 少女コレクション序説 p13


 男というものは、実在の女を求めている訳ではないのかもしれない。「少女コレクション序説」のこの辺りの文章を読んで、改めてそう感じました。
 
 相手の実像を見ていないという点においては、女も同じかもしれない。しかし、そこに決定的な乖離があることを、現実的なバランス感覚から、多くの女性はわかっている気がします。わかっていて、酔うしたたかさがある。
 
 しかし、男は観念的で作り出した「女」に対して、自分の思いを制御不能になりやすいように見えます。どこにもいない理想の異性像を追い続けて、身を滅ぼすことが多そうです。
 
 ロマンチストは、齢を重ねてもやはりロマンチスト。それとは別に、若い男性は非常に類型化された「記号」としての少女を求めやすい。そのターゲットとなるのが、アニメではないかと思います。
posted by 竜胆 at 22:03| 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

純粋客体

男たちの反時代的な夢は、純粋客体としての古典的な少女のイメージをなつかしく追い求める。

― 少女コレクション序説 p12


 古典的な少女のイメージの一つの結晶が、ゴスロリなのかなと思ったりします。あれは、少女らしい穢れのなさを象徴しているのでしょうか?
 
 純粋客体という言葉からは、エロティックな連想から性玩具のイメージも湧いてきます。SMにおいても、ペット扱いされる嗜好もありますが、完全に物体として扱われたいM女性もいますし、そういうプレイを好むサディストもいます。
 
 メイド服が奉仕と献身を象徴しているならば、拘束具やボンデージファッションは、純粋客体をシンボライズしているという側面があるのかもしれません。
posted by 竜胆 at 09:23| 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

オブジェとしての少女

「少女という存在自体が、つねに幾分かは物体(オブジェ)である」

― 少女コレクション序説 p11


 強敵と書いて「とも」と読むではないけれども、物体と書いて「オブジェ」と読む訳である。さすがは澁澤さん。ルビが、いかにもです。

 それはさておき、現実の少女はAKB48を見るように物体的ではありません。しかし、「幾分かは」という限定で考えれば、AKB48の女子たちもやはりどこか作り物めいた香りが漂っています。

 アイドルが十代の女の子(男の子の場合もありますが)であるのは、単に可愛いからというにとどまらず、このオブジェめいた香りが重要なのではないかと考えられますね。
posted by 竜胆 at 12:00| 序説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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