2011年11月20日

共同体からの隔離

破瓜期の少女を小屋に閉じ込めて一定期間、共同体から隔離する習慣は、どの民族の間にも認められた一種の通過儀礼である。

― 塔に閉じこめられた姫君 p16

 ごく平たく言えば「(特に父親からの)親離れ」であり、澁澤氏の言葉によれば「クリトリス段階の克服」のための隔離であるのでしょう。

 「少女コレクション序説」の原文では、この共同体からの隔離を表現した物語の例として、先にあげた「眠れる森の美女」以外にも「ラプンツェル」と、絵画「聖バルバラ」をあげています。

 すべての民族ということは、日本においてもこうした隔離が行われていたのでしょうか。山に棲む鬼に見初められてならないと、処女を人目に触れないように隠す昔話とかが、その行為を表現しているのかも。

 現代日本では、娘を女子校に通わせるのがそれにあたりそうに思います。ただ、共学の女の子の方が異性の目を意識して、より早く大人らしい振る舞いを身につける気はしますが。

posted by 竜胆 at 09:30| 塔に閉じ込められた姫君 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

待つ

卵子から恋人まで、女性であることの役割の一切は、待つことに他ならない

― 塔に閉じこめられた姫君 p15


 これは、マリー・ボナパルト(ナポレオン・ボナパルトは、彼女の大伯父にあたる)の言葉だと紹介されています。
 
 最近では、肉食系女子なるくくりもあって、必ずしも待つという宿命に甘んじることなく、自ら男を求めているようにも見えます。しかし、それはあくまで誘っているのであって、襲ってまでいる例はごく少ない筈です。
 
 そういえば、太宰にも「待つ」という掌編がありました。この言葉を脳裏に浮かべながら読むと、また違った感慨がある気がします。
 
 女性は受動的である方が、少なくともこれまでの世の中では有利だった訳ですが、これからは「積極的に待つ」という姿勢が、より一般化するのかもしれませんね。
posted by 竜胆 at 00:46| 塔に閉じ込められた姫君 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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